日々のかけら

このままじゃおかしい!イヤだー!と思い立ったらいつのまにかさとう式リンパケアインストラクターになっていました。そこからまた色トリドリで味わい深く見えてきた、そんな私の日々のかけら達です

つれづれ2020☆8

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2020 春

つれづれ2020☆1にも書いたように

「なんだかなー」の日々

 

針の目を通る アセンションだ 二極化だ

陰謀論だ なんだかんだ なんなんだ?

 

こんな時は距離を取る

あっちとこっちのそれぞれの情報を

とにかく入れていく ジャッジなし

 

高校か大学生の頃 

京大の森毅先生のCREAサライの寄稿で

「わからないことはわからなくてもとりあえず

"わからないの森"に入れておく」

のようなことをおっしゃっていて

私はそれを採用している

 

で、別に誰にも何にも言わなかったんだけど

息子ズが

「俺、両方の意見をずーっと見てきてみたんよねー で、だとしたら、こっちの方がすんなり意味が通るんやよ」

と言い出した

ですよねー

 

「そんなことあるわけない」とか「化学的根拠が」とか言ってしまうと

その先の可能性を見ることが出来ない

偏った世界からの見方にしかなってないですよ

と言われても仕方ない

自分が狭い世界で生きてるって言ってしまうことって恥ずかしくないの?

 

それはあなたではなくて

誰かの意見の受け売りではなくて?